2011年の牡馬クラシックを全て制して中央競馬史上7頭目の三冠馬となったオルフェーブルは、デビュー当初はそれほど強い競走馬ではありませんでした。
激しすぎる気性が災いし1番人気に押されても大敗をしていたので、むしろG1馬の全弟として、人気先行の馬だと思われていました。
オルフェーブルが競馬ファンに強さを見せつけ始めたのは、牡馬クラシック一冠目の皐月賞です。
オルフェーブルは、前哨戦であるトライアルのスプリングSを制したものの、人気は単勝10.8倍の4番人気でした。
歴史に名を残す後の三冠馬が、この時点では伏兵のうちの一頭でしかなかったのです。
オルフェーブルが皐月賞で人気にならなかったのは、理由があります。
この年の皐月賞は、東日本大震災の影響により例年より1週間遅れで、東京競馬場で行なわれました。
オルフェーブルは、2歳時に左回りのレースで内に斜行してしまったり、同じ東京競馬場で人気を裏切り大敗したりしていたので、左回りが苦手だとこの時点では考えられていたのです。
G1を勝利した全兄も左回りが不得手だったので、競馬ファンからは信頼されていませんでした。
しかし、レースではスタートを決めて、課題だった折り合いもクリアし中団で脚を溜めます。
苦手とされたコーナリングもスムーズにクリアし、直線では先頭に立つと。
1番人気馬を3馬身も千切る圧勝でした。
前評判を覆したオルフェーブルの圧勝劇には、競馬場やテレビの前で観戦していたファンも、すべての人が驚いたのです。
牡馬クラシックの一冠目である皐月賞を制したオルフェーブルは、続く日本ダービーも不良馬場をものともせずに圧勝します。
二冠馬となったオルフェーブルは、難しい暑い夏も順調に過ごして、菊花賞を制して市場7頭目の三冠馬となりました。
その後は3歳馬ながら有馬記念も制して、2011年の年度代表馬と最優秀3歳牡馬に輝きました。
翌年は阪神大賞典での逸走、調教再審査が影響した天皇賞(春)と、当初は三冠を制した強さを見せることができませんでした。
しかし、宝塚記念で復活の勝利を飾ると、オルフェーブルはフランスの凱旋門賞に挑戦します。
凱旋門賞では、直線の斜行が響き2着と敗れたものの、その能力の高さは世界中を驚かせました。
凱旋門賞には翌年も挑戦してまた2着でしたが、世界の競馬関係者にオルフェーブルの名は知れ渡りました。
圧倒的な強さと気性の激しさは、日本の競馬ファンの間でも、これからも語り継がれて行くでしょう。